真如苑の苦難と隆盛

真如苑

 

戦後となり、立川不動尊教会は1948年に「まこと教団」として再出発することになります。ここで真言宗から独立することになりますが、1950年に「まこと教団事件」が起きるのです。これは、修行と称して集団でリンチを受けたとして、真乗氏が側近から告訴されるという事件です。

 

この事件が起こったことによって、その信者の数は激減し、まこと教団はほぼ壊滅状態になってしまったようです。そこで、教団の復活を図るために、1951年に教団の名称を現在の「真如苑」に変更しています。そして、1953年には事件の裁判が進行中でありながらも法人認可を得ることができたため、再スタートを切ることが出来たのです。

 

この頃には、伊藤夫妻の次男が急死したり、「まこと教団事件」の裁判でも、結局真乗氏が執行猶予付きの有罪判決を受けることになるなど、教団にとっては苦難が続くのです。この「まこと教団事件」に関しては、提出された証拠に疑わしい点もあるとされており、実際は無罪ではないかという見解もありますが、真乗氏は教団の再興に力を注ぐために控訴を断念しています。その後は、徐々に教団組織は拡大していったわけですが、妻の友司が亡くなった頃から伊藤一族の内紛が発生し、有力幹部の脱退や、三女真砂子の自殺未遂事件、あるいは次女孔子による暴露攻撃など、様々な苦難が続いていくのです。

 

こうした苦難を乗り越え、芸能人を広告塔に利用するなどして信者数を増やし、現在では日本でも有数の資金力を持つ大教団となったわけです。