真如苑のはじまり

 

真如苑の開祖である伊藤真乗氏は、1906年に山梨県に生まれ、航空技師として海軍に従事し、除隊後は現在の石川島播磨重工業の前身である石川島飛行機で働いていました。1932年には従兄弟の友司と結婚しています。

 

真乗氏が宗教家となるきっかけは、伊藤家に代々伝わる易学の影響によるものと云われています。また、妻の友司は霊能者の家系に育っており、本人にも霊能力があったと云われています。この伊藤夫妻が宗教活動を開始したのが1935年であり、運慶作といわれる「大日大聖不動明王」を入手して、自宅のある立川市南幸町に「立照閣」を設立しています。

 

しかし、その同じ年に長男が急死するという出来事に見舞われることになり、教団の先行きが危ぶまれたのですが、伊藤夫妻は高尾山において荒行を行なうことでこの長男の死を乗り越えることに成功しています。その後、真乗氏は真言宗醍醐派の総本山である醍醐寺において修行を積み、その翌年にはその僧籍を得ています。

 

1938年には、現在の総本部があるところに真澄寺を設立し、この時に団体名称を「立川不動尊教会」と改めています。しかし、まだ独立を認められるほどの力がなかったため、立川不動尊教会は真言宗の傘下として活動することになります。その後も真乗氏は醍醐寺で修行を積み、1941年に醍醐寺より大阿闍梨の地位を与えられ、一宗一派を創始する資格を得ることになるのです。